出産の価値
またも、生まれたばかりの赤ん坊が遺棄される事件があった。
逮捕されたのは23歳の母親。
家族が暮らす自宅で出産し、育てることができないからと言って鋭利な刃物で傷つけた上で、駅のゴミ箱に遺棄したという。
書いているだけでも気分が悪くなるような事件だが、驚くべきことに一緒に住んでいる両親などは妊娠していることにも、自宅で出産していたことにも気がつかなかったと話していることだ。
事情を聞かれた場合、このように話した方が良いと誰かが入れ知恵をするのか、だいたいこの手の事件では、身近にいた家族は「気がつかなかった」と話す。
一緒に暮らしていて、臨月のお腹に気がつかないはずがない。
広い敷地の中に、母屋と別にある家で暮らしており、10ヶ月間一度も顔を合わせなかったなら分かる話だが、妊娠していることに気がつかないのはありえないと思う。
かならず「周りに事情を話せる環境はなかったんでしょうか」とコメンテーターは言うが、話したところできちんと育てようと提案するような人間が周りにもいなかったと思う。
普通に23歳まで人生を送れば、赤ん坊を遺棄するなんて考えつかない。
”普通ではない”生き方をしてきたからだ。
”普通に”生きている、旧友や近所の人などが気がついたとしても相談に乗ったりしなかったということは、「ま、いいか」と放っておかれるほどの人だったということだろう。
ではなぜ「ま、いいか」と呼ばれる人になったのか。
周りへの感謝が足りなかったり、基本的なコミュニケーションの取り方が分からなかったのかもしれない。
数年顔を合わせていない元の同級生であっても、出産したと聞けば嬉しく思うし、困っていることがあるなら出来ることはないかと考える。
母となる前に、一人の人間としてやるべきことがあったのではないだろうか。
命を絶たれた赤ん坊の事を思うと、本当にむなしくなる。