将棋について

将棋の駒で好きなのは桂馬である。
嘘である。
私は「飛車角かわいがり」の口である。
桂馬は、私の手の内ではその魅力を発揮しない。
桂馬の持つ機能を、私がよく理解していないからであろう。
ただ単に、登場したかと思うとすぐに相手の手駒になる悲しい役回りを担っているに過ぎない。
つまり、私のは「へぼ将棋」なのである。

でも、へぼ将棋をいつか脱却したいと思い、孫子兵法なぞを買ってみたこともあった。
兵法を読めば、昔の軍師が戦略をたてるための道具であった将棋は、きっと理解できるはずであった。
あくまで予定である。
結局この本は、読む前に人に貸したら帰ってこないまま今に至る。
買ったはいいが読まれることもなく、結局私のへぼ将棋はへぼ将棋のままである。
ある日、父と一戦交えたことがある。
私は一手考えるのに20分かけたため、父はすぐに私を見捨ててテレビを見始めてしまった。
「お前は一手に時間制限があるのをしらないからやりたくない」と言われた。
それ以来、一度も相手にしてもらえていない。
いずれは父をぎゃふんといわせたいと思っている。
そんな私が、唯一互角に戦える相手が一人だけいる。
伯父である。
彼も一手を考えるのに時間が相当かかるし、お互いに非常に浅はかな手口で打ち合うため、先方が似すぎていつまでたっても踏み込めず、決着がつかない。
彼と将棋をしていると、自分はもしかしたら人並みに将棋をさせているのではないか、と錯覚を起こすほどに長いラリーになるのである。
でもよくよく頭に留めておかなくてはならない。
私の将棋がうまくなったのではなく、私と伯父が同レベルにへたくそであるということを。

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