自己肯定のマイ決定技
人間生きていると、どうしても他人と自分を比較することがある。
隣の芝は青い、とはよく言ったものである。
周りと比べて自分のほうが優れている、とうぬぼれるのはお目出度いタイプだとして、往々にして人間というものはネガティブになりやすいものだ。
そう、自分は何てだめなんだと思い込むことは、誰にでも一度は経験があることだろう(と信じたい)。
少なくとも、私は今までに何度か経験した。
馬鹿みたいに自分に自信のあるときと、これもまた馬鹿みたいに自分に自信がなくなる。
色々なスパンにせよ、私の人生はその繰り返しである。
その繰り返し、というものは実に心身を疲労させる。
そこで私は、とある画期的な自己肯定を考えた。
自己肯定すなわち、自分というものを知ること。
悪く言えば、自分に対してある種の諦めをもつということ。
まず、自分の出生にさかのぼって考える。
どんな生き物でも、生き残るのは難しい。
まず、受精卵になるのから戦いであると聞いたことがある。
数え切れないほどの精子が卵子に向かって泳いでいき、その中の最初にたどり着いた、お祭りの福男みたいな一匹が、受精卵になる権利を得るのだという。
色んな自分になる可能性を孕んでいたその時のこと、それでも一番優秀な素材によって合成されたのが、「私」という人格なのである。
そう思うと、こんなに運動神経の鈍い自分でも、こんなに気が短くてがさつな自分でも、与えられた中で一番の精鋭の素材でできてこれなんだから、これも自己ベストなのかなと思う。
だめだだめだと思っていたけれど、これが最上の結果なんだったら、受け入れないと仕方がない。
そう思うと、生きるのは少し楽になる。
自分という素材を肯定しつつも、そこで悟りきらないで前向きに生きていけば、まあ自己否定で死にそうにはならないのではなかろうか。